猫が好き。

猫と女性が好きです。日々(月一?)の独り言です。

救援物資による延命の是非

昨日、彼女の手料理が冷凍便で届きました。


仕事が忙しくなると一層食に無頓着になる私を心配して、温めれば食べられる状態の

手料理を一週間分送ってくれたのです。
甘やかされ過ぎとは思うのですが、甘やかされる嬉しさは、彼女と知り合って初めて

知った感情です。


受取を一日で一番遅い時間にしたものの、無駄な会議が長引いたおかげで、家に着い

て五分後にはチャイムが鳴るというギリギリの攻防戦となりました。
仕事のリスク管理には、まだまだ改善の余地がありそうです。


彼女に甘やかされる度に、彼女に惹かれる自分と、それを引き留める自分がいます。


彼女は私にもっと求めて欲しいと言いますが、求め過ぎればこの関係自体が壊れて

しまうことは自明の理です。


常に危ういバランスの上に成り立つ関係である以上、現状を維持するためには、

私にも彼女にも越えられない一線があり、お互いの我慢が必要です。


既婚者である彼女を選択したのは私であり、その責任は私が負うべきものです。


彼女と付き合うまでは、私が誰かと一緒に暮らすことは無理だと思っていました。
人は人、自分は自分。
彼女は程よい距離でお互いを高め合える、理想の相手のはずでした。


けれども今は、完成した手料理より、私のために料理を作ってくれる彼女の姿を

見ていたい。
月に一度の点の逢瀬ではなく、この先も続く線の逢瀬を願ってしまう。
一人で生きるなら十分な今の職位も収入も、好きな人の人生を一緒に担える立場に

なれるのならば、保留にしている昇任の打診を断る理由もありません。


足るを知る、と言う言葉は、求めれば限りがなく、求め続ける以上はいつまでも

満たされることはないという戒めだと思っています。


しかしその一方で、現状維持を受け入れることは私にとって、好きな人と一緒に

暮らし、お互いの人生の責任を共有する機会を放棄することになります。


最適解を求める理論は明らかになっているのに、ままならない脳のバイアスが

道を塞ぎ、行き先を失った思考はいつもここで立ち往生です。


しかしながら、立ち止まっていられる猶予はもうあまり残されておらず、目前に

迫りつつある分水嶺を前に、焦燥感に駆られる毎日です。

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